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【コラム】茶室文化の興り

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 日本の歴史に綿々と受け継がれている、純和風建築の最たるものの一つに茶室がある。茶の作法を「茶道」にまで昇華させた日本人。そんな茶室とはどのような変遷を経て、成立してきたのだろうか。

 茶室の歴史は古く、平安時代にまでさかのぼる。当時はまだ茶室と呼ばれるようなものではなく、「茶の湯」をたしなむ場所が、次第に質素であり、かつ絢爛な場所へ移行していったようだ。今では忘れ去られつつある日本人の生活の中に、根強く浸透しているものに「無常観」があげられ、諸行無常の理から派生したものであり、生活しているその時々で、非日常から日常に戻されたとき感じる「無常観」は「無情感」となることにより、無常観が美化されてきたのは数ある建築史を見返してもよくわかる。また「風流」も日本人の美意識の最たるものである。

 風流とは、わび・さび(精神の充足と自然美)であり、造詣や建築の分野に出現し始めたのは鎌倉・南北朝を終え、室町時代に数奇屋作りの住宅や茶室建築が発端となったようである。もともと、侘び数奇(非常に質素な茶室。現代の茶室の原型)や茶席などが流行した背景には、「豪華絢爛」「色多彩」などに対する対抗意識や精神的な抵抗から、自然を思慮する心より派生したものであると解されてきた。しかし、わび・さびを建築に取り入れる以前の鎌倉時代にも、茶の湯をたしなむ文化はあったが、必ずしも庶民的な思いであったりだとか自然への探求心だけでは理解に苦しむ歴史的因果関係が知られる。

 一般に茶道の起こりは諸説多彩であり、茶室と同時期の鎌倉時代であったとか、はたまた室町や戦国時代に起こっただとか、相阿弥や千利休が創始であっただとか非常に諸説入り乱れている。これについてはごくごく所期の茶の湯から茶室へ昇華しその後わびさびを取り入れることで茶道へと変化していった分岐点を決めることは非常に難しく、多くの識者の意見が分かれるところである。

 戦国時代になると茶の湯は次第に茶湯と呼ばれる作法を持つようになり、わび数奇が取り入れられることにより茶席となり茶室という4畳半の諸行無常の概念を完成形へと変化させていった。

 この頃の茶室遊びは俗世からの逃避・自然至上主義を貫いた道楽掛かったものであったようで“茶道”はこれとは対をなし、神秘感や宗教的でもあることから格式身分の象徴、又は素朴で俗世間からの脱却をこころみる人々の心の道として進展を遂げていった。

 しかし、私利私欲生活から諸行無常へと昇華しようとした茶道であるが、この頃は特権階級の遊びでしかなかったため、そういう意味では非常に矛盾した茶室建築は必然であったのかも知れない。

 そんな茶室建築であるが、ニジリ口と呼ばれる小さな入口から入るには頭を垂れ入室しなければならない。その動きは俗世間からの脱却を表し、権威や地位とは無縁の空間へといざなうこととなる。中に入れば自然光を感じさせる格子窓から差し込む陽の光、伝統的な黒檀の柱が主張する床の間、水墨画や書の掛け軸、焼物に添えられた花々は唯一季節感を感じさせ、置き方ひとつ取ってもそれらが融合することにより、空間を演出し一期一会の心を感じることとなる。

 昨今、純和風の建築を手掛けることは非常に少ないかも知れないがその一部でも新しい形で現代住宅に息吹を吹き込むことにより顧客を喜ばせることもまた一興かと思う。

 とは云えども「茶人」として草庵に無常の心・わびさびを求めた本来の姿形は、素朴な俗世間に住む人々の憧れとして、現代も息づいている。

質問 Nov 7, 2016 公開 提案 事務局 (13,170 ポイント)

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