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【コラム】ガラス今昔物語

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 近代建築のビルデザインで猛威を振るったカーテンウォールなどに代表されるガラス。街を歩けば建物に限らず、バスステーションや街灯、住まいには工芸品や小物類に至るまで生活に欠かせない重要な要素であり、実に有能な工業製品である。また芸術にまで昇華した工芸品作家には、著名な人物も多い。

 そんなガラスであるが、西洋より東洋へ伝来した歴史は非常に古い。性質上ガラスと呼ばれる物質が生産されるようになったのは、紀元前四千年以前のエジプト・メソポミタミア地方を中心とした文明の中で、ビーズのようなものが作成されたのが始まりと云われている。さらに紀元前千五百年頃には、粘土板を利用したガラス器なども製作されるようになり、この技法は東洋へも流出した。

 東洋では琉璃(るり)や壁琉璃(へきるり)などと呼ばれていたものがガラスであり、古代中国の漢代には西域伝(中国歴代の王朝書簡の書物で西アジアやヨーロッパとの関係を記した書)などに記述が見られる。

 ガラス器の西域(ヨーロッパを中心とした文明圏)から中国への流入は、シルクロードを通り伝来されたかと思われがちだが、シルクロードが繁栄する前、それは漢代の頃から海上貿易を経て、すでに市場に出回っていたようだ。ローマではすでに交易に利用できるほどのガラス器が造られており、絹や装飾品とバーターされていたようだ。

 それを証明するかのように、漢代の墳墓にはガラス椀や琉璃壁や漢鏡が出土しており、交易が頻繁に行なわれていたことが垣間見られる。

 やがて後漢の時代を迎え、中国大陸でも自作のガラス工芸をおこなうようになり、耳飾りや故人を偲ぶ際に持たせる玉を、ガラスでこしらえたものなどが流通するようになった。この頃の技術はすでに西洋を超え、東洋の技術力は格段の差があったと言い伝えられており、自信の程が伺える。

 五世紀に入ると天竺(現在のインド周辺)のガラス工が、中国の中央部に技術を伝来し、平城で工場を設け五色のガラス工芸品は勿論のこと、建築用ガラスなども生産されていたと伝えられている。

 西京雑記(前漢時代の逸話や物語などが綴られた歴史書。不確かな文脈も多い)の物語には、窓ガラスの描写も出てくるほどなので、東洋でのガラスの普及は千六百年ほど昔からということなのであろう。

 ただし、ヨーロッパ諸国にかぎっては、ローマ時代のポンペイ遺跡からすでに窓ガラスが発見されていることから、東洋と西洋のガラス開発の差は、実に四世紀あまりの遅れがあったという計算になろう。しかし、ポンペイなどで出土したガラスは非常に分厚く、半透明という現代では窓ガラスとは呼べないような代物であったようで、イメージするのは難しいかもしれない。

 五世紀以降の中国地方では色や素材等でもヨーロッパを凌駕するほど、美しかったといわれているが、東洋人の心情なのか西洋コンプレックスはこの頃からあったようで、地位のあるものはすでにその頃から、舶来品を好んでいたようでわざわざ精密差では当時劣っていたペルシャなどのガラス器を求めて使節団を送り込んでいたという。

 わが国にガラス工芸品などが伝来したのは、古墳時代のことであり墳墓の中からも発見されている。材質は銅で着色された鉛のガラス板が原料で、この鉛ガラスからさまざまな工芸品を作っていたようだ。

 奈良時代になれば寺社では、宗教的意味合いのある工芸品(鎮壇具・仏舎利・骨壷などの製品)などに利用されていて、平安朝には鉢や杯、そして板ガラスも生産されはじめ、手箱などの工芸品にガラス板が嵌め込まれたものなどが発見されている。

 建築の用途に利用されはじめた時代は定かではないが、すでに平安時代の中尊寺金色堂内壇上に框などがあり、透明に黄色掛かったガラス板が利用されていた痕跡があるという。

 このように建築材料では一番長く持つものは実はコンクリートではなく、ガラスなのかも知れない。

 コンクリートジャングルで上を見上げてみれば、恒久的な美しさを持つガラスを観ることで、このような雑事を思い出していただけると幸いである。お客様と雑談してみるのも良いかもしれない。

質問 Nov 6, 2016 公開 提案 事務局 (13,170 ポイント)

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