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【エッセイ】ある老設計士の住宅設計に向かう姿勢

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学生時代、ある人の紹介で設計事務所のアルバイトをすることになりました。事務所は大阪中之島近くの川沿いの古いビルの一室にあり、所員数は女性事務員を含めてわずか5名の小さな事務所です。所長は、当時60代後半ではなかったかと思います。そして50代後半の番頭さん、30代の意匠担当者と設備担当者の計4名が実戦力の事務所です。

小さな事務所でしたが、当時の大阪では有名でした。建築雑誌の住宅特集では、必ずと言っていいほど紹介されていました。そんな事務所で建築を学び始めたばかりの学生がアルバイトをするのですから、作業内容は限られていおり、単純作業ばかりでした。1日の始まりは、畳4帖ほどもある大きな作業机に備えられている鉛筆類を削ることから始まります。その次がカタログ整理です。壁一面のカタログ棚を整理しながら、古いものはメーカーに連絡して新しいものに交換するのです。これが結構大変で、建材メーカーへの電話で、まごつくことも度々ありました。

そんな状態で数週間過ぎた頃、所長に出かけるから付いてくるように言われました。駐車場には所長の決して新しくはないクラウンが車が止まっており、私が運転をすることになりました。緊張しながら所長の指示のままに向かった先は、宝塚の静かな住宅街の空き地でした。最近更地にされた感じのその空き地の広さは、150坪前後ではなかったかと思います。

所長は、車のトランクからイーゼルと椅子を取り出して空き地の中央にセットして、暫く思案した感じでしたが、やがて絵を書き出しました。その日は梅雨に入る前の晴れた天気で、私は側に座って、時折話しかけられる言葉に返答するだけでした。10時すぎに到着してから、日が沈みかける夕方までそんな調子です。

帰る車の中で所長曰く、あの空き地の光や風の流れ方、そして周りの音を知りたかったのだ、と言うことでした。当時の私から見れば、祖父に当たるくらいの年齢差ですから、ただただ頷き感心するばかりでした。この事務所で一年ほど務め、敷地図と配置図くらいは作図させてもらうようになった頃、事情があってやめました。ですが、この一年で学んだことが、その後の私の建築人生に大きな影響を与え、数十年たった今も役に立っているのです。

当時の設計事務所には、師匠の仕事ぶりを見て学び取る丁稚奉公的な雰囲気がまだありました。また、経営的には苦しい事務所も多くありました。ですから、若い所員の給料は同年代のサラリーマンより低い傾向にあり、若い所員が優れた才能を見せはじめてもそれに見合う給料を支払えず、若い所員が独立していくのを見守るしかないのも実情でした。日本では、設計事務所は儲かる仕事ではないのです。今でも、この状態が大きく改善されたとは感じていません。設計事務所が経済的に苦しいのは、デザインにお金を払う習慣が日本にはあまりないことが原因です。商品を選択する際に、そのデザインの良し悪しが大きく影響しているのもかかわらず、デザインに投資しない考え方は不思議でなりません。

設計にはそれぞれのスタイルがあり、それらは経験で作られていくものです。共通しているのは、設計はクライアントのために行うものであり、その積み重ねがスタイルを形作っていくと言うことです。決して自己の願望をクライアントに押し付けるのではなく、自身の感性や心情とクライアントの希望とをバランスさせる仕事だと思います。
時代が変わって、あの老設計士のような作品作りが経済的に成り立っていくのかはわかりません。日がな一日、削っていた鉛筆もマウスに変わり、膨大なカタログもインターネットで閲覧できるようになりました。作品はビジネスに乗せやすい商品へと変わってきています。時代の変遷ですから、いい悪いではありません。しかし、設計に対する気遣いやクライアントの生活に思いやる心配りが必要であることに変わりはありません。あの日、老設計士がクライアントの生活に思いやった姿勢は、今も鮮明に残っています。

質問 Jun 11, 2016 公開 提案 事務局 (7,800 ポイント)

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